莫 高 窟 内 部



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莫高窟概要

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莫高窟内部

月牙泉・鳴沙山

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●壁画
莫高窟の始まりは366年と、唐時代の有名な歴史学者の李懐譲(りかいじょう)は伝えている。楽そん(らくそん)という修行僧が鳴沙山の東の崖にやってきた所、突然金色の光の中に千仏を見て石窟を開き、続いてその側に法良禅師が石窟を造ったのが始まりらしい。


以来、1000年間に渡って営々と石窟が造営され、最盛期には千仏洞と云う名前があるように石窟数は1000を数えたという。その後、明代に敦煌の東400kmにある嘉峪関が閉じられ、一時、敦煌は忘れ去られた存在になってしまう。


しかし1900年になってにわかに脚光を浴びる。王円ろく(おうえんろく)道士が16窟の壁に塗り込められていた小さな部屋を発見。その場所でタバコを吸っていると煙が流れていった為、16窟の北壁をうち破って17窟を発見したという。


蔵経洞と名付けられた部屋には、膨大な数の古文書が隠されていたそうだ。これは敦煌文書と呼ばれ、敦煌の全貌が明らかにされていったともいわれている。敦煌の仏教美術(建築、塑像、壁画、文書)は世界に類のない仏教美術であった。


以前にも述べたが、北涼は漢民族による中国様式ではなく、西域の様式を色濃く残しているのが特徴。上半身は裸で衣は体に密着している。壁画に描かれた飛天の顔や体躯に黒くて太い縁取りが目立つがこれは立体感を出すためのものである。


272窟の飛天、275窟の交脚菩薩、ビリンジェリ王や、259窟の「禅定仏像」は謎の微笑を浮かべ、「敦煌のモナリザ」といわれている。



【参考】 探偵社興信所の選び方  探偵興信所-Akai   東京の探偵社興信所  福岡の興信所探偵社